余韻の時間のヨインノジカン

先日の休みに、熊本市現代美術館にて開催中の

「 ドレス・コード? 着る人たちのゲーム 」を観覧してきました。

2019.12.8(日)〜 2020.2.23(日)

「今日着ている服、あなたはどうやって選びましたか?」

という投げ掛けから始まる今展。

コム・デ・ギャルソンや世界中でときめく錚々たるブランドの

コレクションで見られるようなドレスなど、普段着ることも、

目にする事もない服たち。煌びやかで華やかな世界。

しかし、これらは、デザイナーの訴えやポリシー、想いが乗っかった芸術なんですよね。

一度は、パリコレやミラノコレクションを観に行ってみたいですね。

でも、こういう世界だけがファッションではありません。

みな、ファッションで何かを主張しているんです。

あなたの内面を映す鏡と言っても良いのかもしれません。

「 ファッションは、ショーの中だけで起きてるんじゃない! 」

「 現場(日常)で起きてるんだ! 」

どこかで聞いたことのあるセリフですね。

あ、これ今、私が考えたんですよw

普段の自分ではない、別の何者か(誰か)になれる。心の拠り所にも。

ファッションは「着る」だけでなく、「視る/視られる」もの。

この40年、広島の街に在る(居る)、ホームレスの 広島太郎 氏。

40歳以下の年齢の広島の人で彼を知らない人はいないらしい。

当たり前のように、そこに在る(居る)。

誰もそこには何も(誰も)いないかのように。

でも、確かにそこに在る(居る)。

オシャレなのかどうか?は、見る人によって変わるでしょう。

確立された揺るぎない彼のスタイル。自信のようなものを感じます。

「そんなにお金ないから、お洒落なんてー。そんなお金使えないしー。」

聞き飽きるくらいに、聞いてきましたが…

やはり、お金ではない。ということですね。

まずは、楽しむという事が大前提なんですかね。

それから、自分の生活にあったスタイル。着心地や機能性。

服は、ファッションとして楽しむ前に、衣服として、暑さ、寒さ、

外敵から身体を守る道具としての役割があるという事も忘れてはいけませんね。

インターネットとSNSの普及によって、誰もが自らの装いを自由に

発信できるようになった現在、私たちとファッションのかかわり方も

また新しい局面を迎えています。

情報過多で、世の中には、もうこれでもか!というくらいの

モノで溢れています。洋服も然りですね。選べないくらい様々な服。

もちろん、プレタポルテ(高級既製服)から、ファストファッションまで。

グループで通用するコードがあり、そこから駆け引き、あるいは

ゲームにも似た、自己と他者とのコミュニケーションが生まれます。

何に重きを置いて服を選ぶか?は、ひとによって違うと思います。

でも、服・格好・ファッションで、人は他人をある程度判断するということ。

少なからず、そこに内面や想い、考えが映し出されるということ。

ここを、忘れて、蔑ろにしてはいけません。

今からこれがあるから、誰と会うから、行く場所がどんなところだから、と

自分が着るものは、せめて、自分の意思で、決めたいものです。

T・P・O をわきまえる、ってやつです。話しは変わりますが、

授業参観に来るお母さんの格好は、いつからこんなにラフな感じに

なったのでしょうかね?昔のお母さんは「キメっ決め」でしたけどねー笑

どう見られるか?を気にしなくなったんですかね〜。自己中心的というか。

先生(教師)への ‘ 敬意 ’ が薄れて来たのも関係するんですかねー?

ごめんなさい、話しが飛びました。。。

SNSの普及によって情報も多くなり、気になるブランドがあれば、気軽に

さっと検索できちゃう時代。皆さんの目も色々なモノに目移りするでしょう。

そして、私たちもそのSNSの恩恵を受けているのは間違いありません。

もちろん、すべての人に受け入れられる服は存在しません。でも、

こんな時代だからこそ、店頭で血の通った(意思を持った)セレクトと

接客をしていかなければならないなー。と、

ファッションに携わる身として、改めて考えさせられました。

これを観るためだけに熊本へ。実質、熊本滞在4時間弱という

なんとも贅沢な時間でしたが、とても良い時間でした。

ファッションは終わりのないゲーム、

そして、勝負がつかないゲームなのかもしれないですね。

「さて、あなたは今日、何を着て出掛けますか?」