- 柳宗悦「手仕事の日本」より(岩波文庫184p~185p)
(前略)化学は人造藍の発明を誇りはしますが、誇るならなぜ美しさの点でも正藍(しょうあい)を凌しのぐものを作らないのでしょうか。それは作らないのではなく、作れないのだという方が早いでありましょう。この点で化学は未熟さを匿すことは出来ません。美しさにおいても正藍を越える時、始めて化学は讃えられてよいでありましょう。化学は天然の藍に対しては、もっと遠慮がなければなりません。
誰も比べて見て、天然藍の方がずっと美しいのを感じます。それ故昔ながらの阿波藍を今も用いる紺屋は、忘れずに「正藍染(しょうあいぞめ)」とか「本染(ほんぞめ)」とかいう看板を掲げます。そうしてその店の染めは本当のものだということを誇ります。また買手の方も「正藍」とか「本染」とかいうことに信頼を置き、かかる品を用いることに悦びを抱きます。これは今では贅沢ということにもなりますが、本当に仕事を敬い本当の品物を愛するという心がなくなったら、世の中は軽薄なものになってしまうでありましょう。つい半世紀前までは日本の貧乏人までが、正藍染の着物を不断着にしていたことをよく顧みたいと思います。嘘もののなかった時代や、本ものが安かった時代があったことは、吾々に大きな問題を投げかけてきます。これに対しどういう答えを準備したらよいでしょうか。(後略)
「 手仕事の日本 / 柳宗悦 著 」の抜粋ですが、ブログという性質上、初っぱなから、この長い文章をどれだけの人が読んでくれたでしょうか。
目を通していただいた方には感謝いたします。笑
例えとして、取り上げられているのは藍染めの話でして、藍染とは、藍(インディゴ)で染めたものすべてを言います。その原料が石炭由来の合成藍であろうと、化学的に作られたものであろうと、藍草の葉を原料としていようと、染め液を化学的に作ろうと、藍(インディゴ)を原料にして染めればすべて藍染です。なので、インディゴで染めたものは全て藍染めで、藍染めに偽物は無いが、「正藍染め」「本染め」には偽物がある。染め方など日本古来の染め方「正藍染め」とは似て非なるものである。という話しです。簡単に言うとですよ。
でも、今の時代、これは、こと藍染めに限った話ではないですよね。僕はとても心に突き刺さりました。
化学は発展し、簡単に人工物で似たようなものを作れるようになりました。いまではものだけでなく、動植物に至るものまでです。人は神にでもなった気なのでしょうか。便利さと引き換えに、何か大切なものを失っていっているようにも感じます。
インターネットなどで情報過多な現代、何が本当で、何が嘘か、何を信じて、何を取捨選択して行かなければならないのか。
僕たちはもっと学ばなければならない。ある一部の富裕層(モラルのない)が、もっともっとと、強欲に身を任せ作り上げた虚像・普通・当たり前に騙されてはならないのです。簡単に手に入るものは、大抵がニセモノなのです。
・本当に仕事を敬い本当の品物を愛するという心。
・嘘もののなかった時代や、本ものが安かった時代があったこと。
・つい半世紀前までは日本の貧乏人までが、正藍染の着物を不断着にしていたことをよく顧みたい。
ベンツやBMWなどの高級車で、激安ショップ(飲食店然り)に乗り付ける本物を知らない、本物を知ろうともしないお金持ちの人を横目に、
貧乏人でも、誇り高き心を持って生きたい。たくさんでなくてもいい、きちんとしたもの、本物を身に付けたい。そうやって手にした品物を大事にする方、そういう方と時間を共にしたい。
今の時代、砂漠に水を撒くようなものなのかもしれませんが、そういう想いで今日も店頭に立っています。
余韻の時間 店主